Purple Harp

つぁーこ の創作に関する記事を書き連ねていくページ。たまに女性向け注意。

サリエリのコンテンツ化に対して思うところ

<追記>続きの記事があります。苦手を克服した話です。
そちらも併せてどうぞ。

purpleharp.hateblo.jp

 

近頃、欧州音楽家界隈にとって大きな出来事がありました。
某ソシャゲにて、サリエリがキャラクターとして登場したことです。

そのことに対して、物議を醸す内容かもしれませんが、
感じたところを綴ってみようと思います。

というのも、もともとHPやブログはネット上での自分の故郷みたいなものですし
(わざわざ本音を押し殺して取り繕うような場所でもないですし)
最近はこの出来事に対しある程度は冷静に物事見れるようになってきたと、ようやく思えるようになったので、整理してみようと思います。

 

取り繕いようのない事実から言うと、私はこのソシャゲがとてつもなく地雷になりました。

元々、アマデウスの登場する1章はプレイをしていて、しかし自分にソシャゲ適正がなかったので、飽きてアンインストールしていました。

 

ただし、誤解されたくないのは、私はこのソシャゲの内容に対しては納得しています。今となっては「サリエリ先生解釈違い!ギエーー!!」と騒いでいる訳ではないのです

※初見ではあまりの見慣れ無さに解釈違い起こしてましたが、段々慣れてきました。

 

ソシャゲ内容については、「ああ映画『アマデウス』を好きなライターがいるんだな」という感じで、それはそれで熱量のあるコンテンツだと感じます。

私が辟易としてしまうのは、その2次創作界隈です。

サリエリモーツァルトというCPこそ、「サリアマ・アマサリ」と区別されましたが、「サリエリ」ワードや画像検索欄、Pixiv検索結果などはソシャゲ2次で溢れかえりました。

それを目にした時のモヤッとしたこの感覚、それはインディーズ時代から追っかけていたバンドがメジャーデビューした時の感覚と似てるかもしれない。

私は、ただサリエリ先生ファンとしての古参心を拗らせているだけなのです。

 

とはいえ、サリエリに関しては問題はもう少し根深いと思います。
根も葉もないモーツァルト毒殺説が生前から囁かれて、死後もなお続き、劇や映画で煽られて、毒殺説やモーツァルトへの嫉妬を前提としたコンテンツと成り果ててしまった、サリエリはそんな人物に見えます。

私もそのコンテンツを楽しみ、
時には細やかながら生み出してみたりするうちの1人です。

しかし、そのことが史実のサリエリをきっと苦しめているんだろうなというのはずっと感じていて、だからこそ、かつて確かに存在していた史実の人物に配慮し、極端に言えば「なまものジャンル」のように、ある一定の節度を持ってコンテンツにありつくべきだと考えているのです。

もう少し書き下すなら、「史実とフィクションの折り合いをどうつけるか悩み試行錯誤するべき」だと思うのです。

私の知ってる限りの歴史創作はどれもその折り合いを付けています。
このお話はフィクションです、とか、この部分は史実だけどここは創作です、とかCPでっち上げて天国の人たちごめんなさい、とか。

 

某ソシャゲは、それ自体の内容が良いものであったとしても、コンテンツとしてあまりにも巨大なように感じます。

結果、濁流のように2次創作が生まれて、歴史に想いを馳せることもなく歴史人物をコネコネする羽目になるのです。

「史実サリエリ先生はアイスクリームが好き」とか「弟子に無償でレッスンしてた」とかそういう史実要素を取り扱ってる作品もありますが、ソシャゲに史実をトッピングしてるように見えてどうしても受け付けません。

本当は「分かる、史実が大正義過ぎて辛いね」って分かり合えるかもしれないのに。

 

2次界隈と創作界隈はあまりにも感性が違ってて、分かりあえません。
Twitterでソシャゲクラスタに自作品をRTされるのが嫌過ぎて、「私の作品をソシャゲネタの下敷きにするな!」と言いたくて、けど鍵をかけるのも癪で、まるで威嚇するようにトゲトゲと過ごしていました。

結局の所、私は時間感覚の異なるこの巨大コンテンツに対して、みっともなく古参心をむき出しにしてるだけで、「時間をかけることが愛をかけること」と履き違えてるのかもしれません。多分事実です。そこを切り離して冷静になりきることが、私にはできません。

サリエリ復興としてあるべき姿として、例えばサリエリのオペラが上演されるようになったり、研究が進んで書籍が発行されたり、そういう地道な活動が実を結んでほしかった。決して、「サリエリ沼ドボン」みたいな安易な言葉を伴って広まってほしくなかったのです。(なんかこの言葉見るとイラッとくる) 

 

ちなみに、「自分の数十倍、数百倍のいいねRTがサリエリ2次作品へ付いてることに嫉妬してるのかしら?」と自分の心に問いかけてみましたが、某ソシャゲ2次を自分でもちょっと描いてみて獲得した数百♡より、純粋な創作につく1個1個の♡の方がよっぽど嬉しかったので、そうではないんだと感じました。数万♡になれば喜びが上回るかと言うと、絶対にそれはないと思います。

話逸れますが、フォロワーからの♡や同意に勝る喜びはない…。RTされればされるほど、FF外から♡されても「コンテンツとして消費された」感が増すだけなので。この感覚も、2次とは違うのかなぁと思います。

 

この出来事を通して改めて自分の創作に対して感じたことは、
「この創作を歴史創作として楽しんで下さる方を大事にしよう」
「時間をかけて作ったこの物語を大事にしよう」 ということです。
某ソシャゲきっかけに自作品へ興味を持って下さった方もいて、
それはとてもありがたいことです。

ただ私はあくまでも、歴史創作というこのジャンルが大好きですので、歴史へ想いを馳せる方に「やっぱ歴史最高だし創作とのマッチングも美味」って思って頂けるように今後も創作頑張りたいと思います。

 

おわり